カラリと格子戸を開けて中に入れば、草履が並んでいる。
まだ、稽古が終わってないらしい。
出直そか。ちらりと思ったが、それも面倒くさい。

琰は自分も草履を脱ぐと、稽古場になっている奥の座敷に通る。

「はい、今日はここまで」
「お師匠さん、おおきにでした」
「はい」

ちょうど終わったところのようだ。町屋の娘が3人、そろってお駒(こま)にあいさつをしている。
「師匠」
「あら」
声をかければ、にっこり笑う。
さすがにこの界隈の男衆が憧れるだけあって、お駒の笑顔は艶っぽい。だが、琰は眉ひとつ
動かさない。
「早かったやない。突っ立ってんと、入ったら」

促がされ、鴨居に頭をぶつけないよう身をかがめて座敷に入る。
入れ替わりに娘たちが出て行くが、琰の方をチラチラ見て、ほほを染めて帰っていく。
「ったく」
その様子を見て、お駒は軽く吐息をつく。

「あんたも、たいがい罪つくりな男やね」
「なにが?」
琰にはお駒の言いたいことがわからない。
「あの子たち、あんたに会いたくて、ここに通てるようなもんよ」
「へぇ」
琰は簡単に相槌だけうって、三味線の用意をする。

「よう訊かれるんよ。あの人、なんて人ですか、て」
「へぇ」
「若い子だけやない。後家さんも旦那衆も、あんたのこと訊いてくんのやで」
「そうか」

相槌はうつが、聞いてはいない。三味線の音を合わせる方に集中している。
「ちょお、お琰ちゃん。聞いてんの?」
「師匠、話より早よ稽古つけてや」
「まったく」

琰がお駒に小唄を習い始めて1年余り経つ。自分の三味線こそ持っていないが、けっこう真面目に
通っている。
「お人形さんみたいにキレイな顔してるくせして、案外堅物なんやさかい」
「俺、そんなん興味ないし」
「あんたが興味あんのは、かじ屋のコトだけやろ」
「せや」
と、ここだけは少し口の端をあげて笑う。

お駒もまた、仕事人仲間だ。出会った当初はソリの合わない仲だったが、今ではお互い気の
おけない間柄になっている。
「ホンマに」
もちろん、琰と丈吉の仲も知っている。
「相変わらず、仲のええことで」

「う…ん」
お駒の言葉に、琰はあいまいに頷く。
「なんや? 痴話ゲンカでもしたん?」
「そやない、けど」
琰は構えていた三味線を横において、胡坐をかく。

「師匠。俺、小唄で食うていけるやろか?」
「なんよ、やぶからぼうに」
「いや、実は、」
驚いた顔を見せるお駒に、せんだって墓参りの帰りに丈吉に言われたことを話して聞かせる。

「ふぅん。確かに、ちゃんと考えといた方がええわね」
「俺、丈さんと一緒にいるコト以外、これといってやりたいコトもないし」
膝に肘をついて、顎をのせる。
「困ってんね」

「かじ屋はなんて言うてんの?」
「なんも。自分で考えろ、て」
「あんたもかじ屋になったらええやない」
「それも考えたけど、丈さんがアカンて。俺の手や腕に火ぶくれが出来んの、嫌なんやて」
ハァと、大きく息を吐く。
「まったく…」

「まったく、やあらへんわよ。アホらし」
あきれたように言って、お駒はわざわざ立って、琰の耳をひっぱる。
「聞いてるこっちが恥ずかしわ」
「いてて。師匠、かんにん」
痛がる琰の様子に少しは腹の虫もおさまったのか、お駒はようやく手を離す。

「さっきの話。小唄で食うていくて」
いまだ自分の耳をさすっている琰に、お駒はゆっくり言う。
「確かに、お琰ちゃんはスジがええ。声もええし、覚えも早い。なにより姿がええ」
「ベタ褒めやな」
「あんたが小唄を教えるのやったら、あんた目当ての弟子が仰山来るやろ。けど、あんた、
人に教えるコトできるか?」
「教えるコト」

「せや。厳しいコトばかりやなくて、時にはおべんちゃらのひとつも言えなアカンのよ」
「それは」
「お琰ちゃんには、出来(でけ)へんやろ。だいいち、本気で小唄で食うていく気、あんの?」
「出来(でけ)へんな」
頷くしかない。

「わかったら、早よ三味線持って。お稽古するで」
「はいはい」
琰は傍らに置いていた三味線を持って、キチンと正座しなおす。

「あんたは小唄は趣味程度でちょうどええねん」
「せやな」
「ちょいちょい来て、キレイな顔見してや」
お駒の優しい声に、琰は素直に頷く。

「それに、あんた目当てに、うちには仰山弟子が来るしな」
「ガッチリしてるで」
さすがにこの言葉には、気持ちよく笑った。




  2011.11.12(土)


    
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